自分の名前を最後に呼ばれたのはいつだったかと、キッチンで手が止まる夜
この記事では、「良い母親でいなければ」というプレッシャーがしんどくなってしまう理由と、母親という役割の重さを少しだけ下ろすための過ごし方についてお伝えします。子どもたちの寝顔を見届けたあと、洗い終えたお皿を片付けようとして、ふと手が止まってしまったことはないでしょうか。「ママ」「お母さん」と呼ばれない一日は、もうずいぶん前に途切れてしまった気がして、自分の名前を最後に誰かに呼ばれたのがいつだったのか、思い出せなくなっている。そんな夜が、あったのかもしれません。
こんな瞬間、心当たりはありませんか。保護者会で先生に「いつも丁寧にしてくださって、いいお母さんですね」と言われ、うれしいはずなのに、どこか胸が重くなってしまう瞬間。仕事帰りのスーパーで、疲れて総菜を買いながら、「これも手抜きと思われないかな」と誰にも見られていないのに周りを気にしてしまう瞬間。そして、子どもに少し声を荒げたあと、「良い母親ならこんなことしないのに」と、洗面所で自分に言い聞かせてしまう瞬間です。
フルタイムで医療事務のお仕事をしながら、中学二年生の息子さんと小学五年生の娘さんを育てているのかもしれません。夫は単身赴任で、家にいるのは週末だけ。平日の朝晩は、お弁当も宿題の確認も、学校からのお知らせの整理も、気づけばすべて自分の役目になっていて、休日に夫が帰ってきても、「頼む」ための説明のほうが手間に感じてしまう日もあるのでしょう。
こんな気持ちは、遠くで働いている夫には「考えすぎだよ」と言われてしまいそうで、電話越しには話せずにいるかもしれません。職場の同僚や、ママ友に話せば、「みんなそうだよ」と流されてしまいそうで、それもまた少し寂しい。だから、しんどさを口に出さないまま、翌朝には何事もなかったように、お弁当を作っているのでしょう。
その毎日を、大きな失敗もなく回してきたことは、それだけで大変なことです。誰かに褒められなくても、当たり前のように見えていても、決して当たり前ではありません。ここまで、本当によく頑張ってこられましたね。
「ちゃんとした母親」という声は、いつ、誰から聞こえ始めたのでしょう
「良い母親でいなければ」という気持ちが苦しくなってしまうのは、あなたが完璧主義だからでも、自分に厳しすぎるからでもありません。私たちは、テレビや周りの人の言葉、育ってきた家庭の景色の中で、「母親とはこういうもの」という像を、知らず知らずのうちに受け取ってきました。その像に届かないと感じるたびに、心が「このままで大丈夫かな」と警報を鳴らしているだけなのかもしれません。
以前、あるママがこんな話をしてくれたことがあります。仕事と家事と子どもの習い事の送迎を回している毎日のなかで、ある日、娘さんに「ママって、いつも忙しそうだね」と言われたそうです。責められたわけではないのに、その一言が胸に残って、その夜、こっそり台所で泣いてしまったと話してくれました。「私、何のために頑張っているんだろうって、急に分からなくなって」と、静かに笑っていたのが印象に残っています。
そのママは、それから何日かのあいだ、子どもに向ける笑顔がうまく作れなくなり、そんな自分にもまた落ち込んでしまったそうです。「良い母親」を続けようとするほど、心のどこかが少しずつすり減っていく。それは、あなたの努力が足りないからではなく、ひとりの人間が背負うには、役割が大きすぎるからなのかもしれません。
こうした重たさの裏には、いくつかの思い込みのクセが隠れていることがあります。ひとつは、完璧にできないと、母親として全部ダメだったと思ってしまうクセです。一度声を荒げてしまっただけで、「今日の自分は母親失格だった」と一日全体を塗りつぶしてはいないでしょうか。本当に、今日のあなたはそうだったと言い切れるでしょうか。
もうひとつ、この先もずっとこの大変さが続くと決めつけてしまうクセもあります。例えば、周りの空気や期待を大事にする、調和を重んじるタイプの傾向を持つ人ほど、「子どもが育つまで、自分のことは後回しにするものだ」と、先の長い時間を一足飛びに覚悟してしまいやすいのです。けれど、子どもの手が離れていく時期は、少しずつ、確かに近づいてきています。中学二年生の息子さんが、部屋にこもる時間が増えたことに、少し寂しさを覚えているかもしれません。それは、あなたがこれまで手をかけてきた時間が、ちゃんと子どもの育ちにつながってきた証でもあります。「今の大変さ」は、ずっと同じ形で続くわけではないのです。
母でも社員でもない「あなた」に、五分だけ戻ってみませんか
家族のために動く時間が長く続くと、「母親としての自分」が、いつの間にか自分のすべてのように感じられてしまうことがあります。けれど、「母」という役割は、あなたという人が身につけているたくさんの顔のうちの、ひとつなのだと思います。昔好きだった音楽や、ひとりでぼんやり過ごした休日の記憶は、今もあなたの中にちゃんと残っているはずです。
同じように「良い母親」という重さを抱えて、夜のキッチンで立ち止まっているママは、あなただけではありません。表向きは、お弁当も行事も上手にこなしているように見える人の中にも、同じ夜に、同じ息苦しさを抱えている人が、たくさんいるのだと思います。
もしよければ、一日のうち五分だけ、「母でも社員でもない自分」の時間をつくってみませんか。好きだった曲を一曲だけ聴く、お気に入りの飲み物を、自分のためだけにゆっくり淹れる。そんな小さな時間でも、「役割」から少しだけ離れて、自分の呼吸を取り戻すきっかけになることがあります。
また、「母親としての合格ライン」を、ふせんや紙に一度だけ書き出してみるという方法もあります。書き出してみると、その基準の多くが、誰かに決められたものではなく、自分の中でいつの間にか大きくなったものだと気づけることがあります。今はまだ何も変えられそうにない、という日があってもかまいません。知っておくだけで十分ですし、辛い時は、今日は総菜と早寝で終わらせてしまってもいいのです。
「母親」をお休みして、そっと自分に戻ってもいい夜です
「良い母親でいたい」と願ってきたあなたは、それだけ子どもたちのことを大切に思ってきたということでもあります。その気持ちは、決しておかしなものではありません。
母親としてがんばりたい気持ちと、少し休みたい気持ちが同時にあっても大丈夫です。どちらか一方に決めなくても、両方抱えたまま、今夜はそっと明かりを消してしまってかまいません。
明日も、無理に「良いお母さん」に戻ろうとしなくて大丈夫です。あなたのペースで、少しずつで大丈夫ですから。
