MENU

【空虚感】専業主婦が自分がないと感じてしまう時、母や妻の役割の外側で生きる考え方

目次

誰もいない昼下がりのリビングで、テレビの音だけが響いていませんか

この記事では、家族の世話に人生の多くを割いてきた専業主婦が、ふと感じてしまう「自分がない」という空虚感と、その気持ちとの付き合い方についてお伝えします。平日の昼下がり、子どもたちが学校へ、夫が単身赴任先へ行ってしまった後のリビングで、つけっぱなしのテレビの画面を見るともなく眺めながら、ふと手が止まってしまったことはないでしょうか。「岡本さんの奥さん」「○○ちゃんのママ」以外の呼ばれ方を、最後にされたのはいつだったか、思い出せなくなっている。そんな静かな時間が、増えてきたのかもしれません。

こんな瞬間、心当たりはありませんか。子どもの学校のプリントに保護者名を書く時、自分の名前を書きながら、どこか他人の名前のように感じてしまう瞬間。友人からの久しぶりの連絡に、近況を聞かれて、家族の話しかできない自分に気づいてしまう瞬間。そして、子どもたちが成長して手がかからなくなった夜、「これから自分は何をすればいいのだろう」と、ぽっかりとした気持ちになってしまう瞬間です。

高校二年生の娘さんと、中学一年生の息子さんを育てながら、長年、家族のケアを中心に日々を組み立ててこられたのかもしれません。夫は単身赴任で、家にいるのは月に数回。子どもたちの成長とともに、自分の役目が少しずつ小さくなっていくのを感じながら、その先に何が残るのか、うまく思い描けずにいるのでしょう。

以前は、子どもの送り迎えや行事の準備で埋まっていた一日が、今では驚くほど静かになりました。掃除も洗濯も昼前には終わり、残りの時間をどう過ごせばいいのか分からないまま、なんとなく家事を長引かせて、一日を埋めてしまうこともあるのかもしれません。

こうした気持ちは、夫に話せば「暇なんじゃないの」と言われてしまいそうで、口にできずにいるかもしれません。ママ友に話せば、「贅沢な悩みだ」と思われそうで、それもまた怖いことです。誰にも打ち明けられないまま、静かな昼間の時間を、一人でやり過ごしているのでしょう。

ここまで、家族のために多くの時間を注ぎ、本当によく支えてこられましたね。その献身は、決して当たり前のものではありません。

「自分がない」という感覚は、あなたが空っぽだからではなく、役割に埋もれているだけかもしれません

家族の世話に長く向き合ってきた人ほど、「自分」という輪郭が、いつの間にか家族の輪郭と重なってしまうことがあります。それは、あなたが空っぽな人間だからではなく、長い間、自分の時間や関心を、家族のために差し出し続けてきた結果、自分だけの部分が見えにくくなっているだけなのかもしれません。

以前、あるママがこんな話をしてくれたことがあります。長年、家族のケアを中心に生活してきたその方は、子どもが高校生になり、急に自分の時間ができた時、何をしていいか分からず、ただ座って過ごす日が続いたそうです。「暇なのに、何かをする気力が湧かなくて。自分が何をしたかったのか、思い出せなくなっていたんです」と、少し戸惑ったように話してくれました。その方は、若い頃に好きだった手芸道具を久しぶりに引っ張り出してみたものの、何を作りたいのかさえ浮かばず、結局しまい直してしまったとも話していました。

こうした空虚感の裏には、いくつかの思い込みのクセが隠れていることがあります。ひとつは、「母親なら家族のために生きるべきだ」と、自分を厳しいルールで縛ってしまうクセです。自分のための時間を持つことを、どこか後ろめたく感じてしまってはいないでしょうか。家族を大切にすることと、自分を大切にすることは、対立するものではありません。

もうひとつ、この先もずっとこの状態が続くと決めつけてしまうクセもあります。例えば、人に頼ることを苦手に感じ、自分だけで解決しようとしてしまう、一人で抱え込みやすいタイプの傾向を持つ人ほど、新しい場所に踏み出すことをためらい、今の空虚感がこのまま変わらないと感じてしまいやすいのです。けれど、今の状態は、これから先もずっと同じままだと決まったわけではありません。

家族の外側に、あなたを「あなた」として見てくれる場所があるかもしれません

家庭の中では、あなたはどうしても「誰かの妻」「誰かの母」という役割で見られがちです。けれど、その役割の外側には、利害関係のない、あなた自身を一人の人間として見てくれる場所が、まだ見つかっていないだけで、存在しているかもしれません。

同じように、家族のケアに人生の多くを注いできて、ふと自分を見失いそうになっているママは、あなただけではありません。表向きは落ち着いて見える人の中にも、同じような静かな昼下がりを、一人で過ごしている人がいるのだと思います。

そうした場所は、何かの成果を求められる場である必要はありません。誰かと比べられることも、評価されることもない、ただそこにいるだけでいい場所であれば、それだけで十分な意味があります。

もしよければ、家族とは関係のない、興味のあることを扱う教室やサークルに、一度だけ足を運んでみませんか。習い事でも、地域の講座でも構いません。そこでは「誰かの母」ではなく、一人の参加者として過ごすことができます。

また、大きな一歩を踏み出す前に、まずは興味のある分野の本を一冊読んでみる、という方法もあります。若い頃に好きだったことや、気になっていたけれど後回しにしてきたことを、ひとつだけ思い出してみるだけでも構いません。今はまだ何をしたいのか分からない、という時期があってもかまいません。無理に行動しなくても、知っておくだけで十分ですし、辛い時は、今日はただぼんやりとテレビを眺めて過ごしてしまってもいいのです。

「母」であることも、「あなた」であることも、そっと両方あなたのものです

家族に尽くしながら「自分がない」と感じてしまうあなたは、それだけ深く家族と向き合ってきたということでもあります。その献身は、決しておかしなものではありません。

家族を大切にしたい気持ちと、自分自身を取り戻したい気持ちが同時にあっても大丈夫です。どちらか一方に決めなくても、両方抱えたまま、今日という日を過ごしてしまってかまいません。

明日も、無理に答えを見つけようとしなくて大丈夫です。あなたのペースで、少しずつで大丈夫ですから。

誰かに話したいそんな時は

こちらの記事も読んでみてください
https://my-true-colors.space/yoru-mama-mental-care/

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

私はこれまで、心理学やビジネスコミュニケーションの現場、そして「国家資格を持つキャリアコンサルタント」として、数えきれないほど多くの方々の「人間関係」や「生き方」に向き合ってきました。

相談室の椅子に座り、長い時間をかけてお一人おひとりの物語を丁寧に聴き続ける中で、ふと気づいたことがあります。それは、深夜にポッと光るスマートフォンの通知や、LINEの返信という「目に見えない鎖」に縛られ、本来の自分を見失って立ち尽くしている方が、驚くほど多いということです。

特に、子育てや家庭、あるいは地域コミュニティの最前線で、誰かのために「いい自分」であり続けようと頑張る方々ほど、その重圧は計り知れません。一見完璧に見える方々が、社会が求める「理想の像」という重い鎧(よろい)を脱げないまま、金属疲労を起こして心が白く変色してしまったような……。そんな、言葉にならない「聞こえない叫び」を、私は何度も目の当たりにしてきました。

このサイトは、そんなあなたが**「何もしない」という選択を自分に許可し、浅くなった呼吸を整えて、ホッと一息つける場所**でありたいと願って立ち上げました。

あなたは決して、一人で背負い続けなくていい。 今夜は少しだけ、スマートフォンの画面を裏返して、**自分自身を修復するという「大切な仕事」**のために、ゆっくりと過ごしてみませんか。

目次