心の中に引く、見えない境界線
夜、お子さんがようやく深い眠りにつき、家の中がしんとした静寂に包まれる頃。
ふと耳を澄ますと、時計の規則正しい秒針の音や、遠くを走る車のエンジン音が、昼間よりもずっと鮮明に聞こえてくることはありませんか?
そんな静かな夜、お布団の中でふと思い出してしまうのは、昼間に感じた、小さくて、でも鋭い違和感かもしれません。
たとえば、公園でお友達が乱暴におもちゃを扱ったとき。その子のママが「ほら、ダメでしょ! ○○ちゃん(あなた)のママに怒られるからやめなさい!」と叱った、あの瞬間。
「え、私が怒るからダメなの?」 「『危ないから』とか『物を大切にしようね』って、どうして本質を教えないんだろう」
そんな違和感が胸をかすめたのに、その場の空気を壊さないように「あはは、全然大丈夫だよー」と、顔が引きつるのを隠して笑って流してしまった自分。
そして夜になってから、「どうしてあの時、もっと上手く言えなかったんだろう」「なんだか私まで、嘘をついている嫌な親になったみたいだ」と、終わらない反省会を開いてはどっと疲れてしまう。
今日まで、自分の本当の気持ちをぎゅっと押し殺して、周りの「平和」を守るために、本当によく頑張ってこられましたね。
── 笑って流したのは、弱いからじゃない
あなたが違和感を抱きながらも、とっさに笑って流してしまったのは、決して「弱い」からでも、「芯がない」からでもありません。
それは、「ここで私が何か言えば、私だけでなく、わが子までも遊びの輪から外されてしまうかもしれない」という危険を、誰よりも早く察知できる、繊細なセンサーを持っているからなのです。
お母さんという立場は、時に自分の意思以上に「子どもの代理人」として振る舞うことを求められます。だからこそ、あなたの脳は、あなたとわが子を孤立から守るために、とっさに「ここは笑ってやり過ごすのが一番の安全基地だ」と判断してくれた。あなたが今日、本音に蓋をして浮かべたあの笑顔は、わが子を守り抜くための、立派で切実な防衛本能なんですよ。
どうか、行き場のないモヤモヤを抱え込んだ自分を、これ以上責めないでくださいね。心の中にドロドロとした感情が渦巻いていても、それは自分を守ろうとする自然な反応であり、そんな自分を丸ごと許してあげていいのです。
── 相手は「違う星」の言葉を話しているだけ
それでも、「どうしてあんな言い方をするんだろう」と、相手のことが理解できず、心がざわついてしまうことはありますよね。
でも実は、相手のママも、あなたを傷つけたくてそんな言葉を選んだわけではないのかもしれません。
人にはそれぞれ、育ってきた環境や価値観によって形作られた「心の辞書」があります。あなたのように、物事の「本質」や「相手への思いやり」を大切にする言葉が並んでいる辞書もあれば、ただ「今すぐ、目の前の行動を止めさせること」だけを優先するページしかない辞書もあるのです。
後者の辞書で動いている人は、「他人の目(怒られるよ)」という言葉を使えば子どもが一番手っ取り早く動く、というルールを信じているだけ。その言葉が、受け取ったあなたにどんな温度で響くかまでは、想像する語彙を持ち合わせていないのです。
これは、どちらが正しいかという問題ではなく、見ている景色や、住んでいる星の重力が違うようなもの。相手の心の辞書を、あなたが書き換えてあげる必要はありません。それは、相手の星の言語を無理にマスターしようとするようなもので、あなたの貴重なエネルギーをすり減らしてしまいます。
次にまた心がチクッとした時は、心の中でそっとこう唱えてみてください。
「あ、この人は『効率を急ぐ星』の住人なんだな。私とは違う言葉を話しているだけなんだ」
相手の言葉を真正面から受け止めて傷つくのではなく、「違う星の音」として、自分の心というお城の外側にそっと置いておく。それだけで、相手のペースに飲み込まれそうになる心に、ふっと安全な境界線を引くことができます。
── 今夜は、誰の子育てもジャッジしなくていい
もし明日、またそのママ友と会うのが憂鬱なら、ほんの少しだけ距離を取ってみても、「今日は挨拶だけ」と決めても大丈夫です。
今はまだ、無理に何かを変えようと焦らなくていい。 ただ、「私は今、モヤモヤしているんだな」と自分の感情を言葉にして外に置くだけで、脳のキャパシティが空き、張り詰めていた緊張は少しずつ解けていきます。
どうしても疲れた夜は、もう「誰の子育てもジャッジしない、自分の子育ても反省しない」と決めて、思考をお休みさせてあげましょう。
思考の代わりに、今はあなたの「体」が感じている感覚に、意識をそっと戻してみてください。
両手で包み込んだマグカップから伝わる、じんわりとした温かさ。喉を通っていくお茶の、かすかな苦味と温度。あなたをやさしく包み込んでくれる、お布団のふかふかとした肌触り。
こうした五感の心地よさをひとつひとつ丁寧に拾い上げることで、心は「ここは安全な場所なんだ」と思い出すことができます。
あなたは、その価値観のままで、十分に愛情深く、誰よりも立派にお子さんと向き合っています。
どうか今夜は、自分自身を一番の味方にして、温かな夢の中に身を委ねてください。
今日一日、本当にお疲れ様でした。 ゆっくりと、おやすみなさい。
