誰とも話さないまま、また日が暮れていく
平日の昼下がり、夫が仕事に出かけたあと、生後数か月の赤ちゃんと二人きりで、気づけば今日もまだ誰とも言葉を交わしていない。そんな時間を過ごしていないでしょうか。抱っこしても、授乳しても、おむつを替えても泣き止まないわが子を前に、「私しかいないのに、どうしてあげたらいいのか分からない」と、胸のあたりが締めつけられる。窓の外から人の声や車の音が聞こえてくると、その気配のぶんだけ、この部屋の静けさと自分の心細さが際立ってしまうこともあります。
こんな瞬間に、心当たりはありませんか。理由の分からない泣き声が続いて、時計の針がなかなか進まず、夫が帰るまであと何時間あるかを何度も数えてしまう時。ベランダから見える通りを歩く人を眺めながら、「私だけが世界から切り離されているみたい」と感じてしまう時。夜、赤ちゃんがようやく眠ったあとに、スマホで「赤ちゃん 二人きり しんどい」と打ち込んでいる自分に気づく時。どれも、口には出しづらいけれど、決して珍しいことではありません。
言葉の通じない小さな命と、朝から晩まで密室で向き合い続けて、今日まで本当によく持ちこたえてこられましたね。「怖い」「今だけは離れたい」と感じてしまう瞬間があるのは、あなたの愛情が足りないからではありません。それだけ真剣に、逃げずにこの子と向き合っているからこそ、心が悲鳴を上げているのです。そしてその悲鳴を、「母親失格だと思われそうで」と、夫にも実家のお母さんにも言えないまま、一人で飲み込んでこられたのではないでしょうか。
かわいいと思える時間と、そう思えない時間が、一日の中で何度も入れ替わる。その落差に戸惑って、「私は母親に向いていないんじゃないか」と、自分を責めてしまう夜もあるかもしれません。けれど、その揺れは異常なことではなく、限界近くまで気を張り続けている人に、ごく自然に起きることでもあります。
その怖さ、母性が足りないからだと思っていませんか
赤ちゃんと二人きりでいることを怖いと感じるのは、あなたに母性が欠けているからではありません。もともと人間は、母親一人だけで乳飲み子を育てるようにはできていなくて、祖父母や近所の人など、何人もの大人で手分けして子どもを見てきた歴史のほうがずっと長いのです。それを、日中ずっと一人で、しかも助けを呼びにくい部屋の中で背負うのは、仕組みとして無理がある。あなたが弱いのではなく、置かれている状況のほうが過酷なのだと、まず切り離して考えてみてほしいのです。
以前、あるママが、当時のことを振り返って話してくれたことがあります。上のお子さんが生後三か月の頃、夕方になると決まって一時間近く泣き続けて、抱いても下ろしても変わらず、キッチンの床に座り込んで一緒に泣いていた、と。「誰か大人が一人いてくれるだけでよかったのに、その一人がどこにもいなかった」「あの頃は、夫の帰宅の足音が聞こえた瞬間だけ息ができた気がします」と、少し声を落として話してくれたのが忘れられません。
こうした苦しさの背景には、いくつかの「思い込みのクセ」が隠れていることもあります。ひとつは、泣き止ませられないことを、そのまま「母親としての失敗」だと受け取ってしまうクセです。うまくあやせない一場面を取り出して、「これができない私は、母親として全部だめだ」と広げてしまってはいないでしょうか。本当にそう言い切れるだろうか、と一度立ち止まってみると、その日のうちに何十回も授乳し、おむつを替え、抱き続けてきた自分のことは、勘定に入っていないことに気づくかもしれません。
もうひとつは、今の大変さが、この先もずっと同じ濃さで続くと決めつけてしまうクセです。「一生このまま、誰とも話せない毎日が続くのではないか」と、まだ来ていない未来まで先回りして絶望してしまう。けれど、赤ちゃんの数か月は驚くほど変化が早く、抱っこの重さも、泣き方も、こちらの慣れも、少しずつ形を変えていきます。今の密度のまま固定されるわけではないのです。
同じ時間に、同じ天井を見上げているママがいます
孤独感が一番強くなりやすいのは、第一子がまだ言葉を持たない、この時期だと言われています。つまり、あなたが今感じている息苦しさは、あなた個人の性格の問題というより、多くのママがこの時期に通る道でもあるのです。今この瞬間にも、別の町の部屋で、泣き声を聞きながら時計を見上げ、「早く誰か帰ってきて」と願っているママが、きっと何人もいます。
SNSを開くと、楽しそうにお出かけしている親子や、にこにこ笑う赤ちゃんの写真ばかりが並んで、余計に自分だけが取り残されている気がするかもしれません。けれど、あの写真は一日のうちのほんの数秒を切り取ったもので、その前後にある泣き声や、名前のない疲れは写っていないだけ、ということも多いのです。
そして、泣いている赤ちゃんは、あなたを困らせようとしているわけでも、責めているわけでもありません。泣くことが今のこの子にとって唯一の言葉で、「なんだか落ち着かない」と伝えているだけ。その言葉の意味がすぐに分からなくても、あなたが応え続けていること自体が、ちゃんと届いています。
今日をやり過ごすために、できることだけ挙げてみませんか
もし試してみるなら、一日に一度でいいので、大人の声を交わす場面を意図的に作ってみる、という方法があります。地域の子育て支援センターに顔を出す、電話やビデオ通話で誰かと数分話す、宅配便の人に「ありがとうございます」と一言添える。ほんの短いやりとりでも、「今日は誰とも話していない」という感覚は、少しやわらぎます。
泣き止まない時間がつらくなったら、赤ちゃんをベビーベッドなど安全な場所にそっと寝かせて、別の部屋で数分だけ深呼吸する、という方法もあります。少しの間そばを離れることは、放置ではありません。あなたが落ち着きを取り戻すための時間で、結果として、赤ちゃんにとっても穏やかな関わりに戻りやすくなります。
一日のどこかで時間を区切って、外の空気に触れるのもひとつです。ベランダに出て空を見上げるだけ、マンションの下を一周歩くだけでもかまいません。景色が変わると、詰まっていた気持ちに小さなすき間ができることがあります。
そして、無理を続けなくていい方法も、たくさん用意されています。一時保育やファミリー・サポート、自治体の産後ケアを、理由が「少し休みたいから」だけでも使っていいのです。夫には「話を聞いて」ではなく「土曜の午前中、二時間この子を見てほしい」と、具体的な形で頼んでみる。食事は買ってきたもので、掃除は後回しで大丈夫です。今日は、二人で夜までたどり着ければ、それで十分なのですから。
今日も二人で夜を迎えられた、それで十分です
言葉の通じない相手と、一日じゅう二人きりで過ごしてきたあなたは、それだけで大きな仕事をやり遂げています。無理に「かわいいと思わなきゃ」と自分を追い立てなくて大丈夫です。怖いと感じた時間があったとしても、それはあなたが冷たいからではなく、ただ疲れているサインです。
うまくあやせない日があっても、誰とも話せない日があっても、あなたと赤ちゃんは、今日という一日をちゃんと生き延びました。今は、それだけで十分です。明日も無理せず、あなたのペースで大丈夫です。
